私が中学1年生のときの7月頃、リビングで夕飯中に母親に「私の母親が亡くなったからフィリピンに帰るよ」と言われました。
当日成田空港から4時間かけてマニラ国際空港に到着後、長距離バスに乗り昼も夜も走り続けて8時間。やっと到着すると母親のお姉さんが手を振って待っていました。
母親とお姉さんが言葉を交わしていますが日本語ではないので分からない。お姉さんは私と弟の貴浩をハグして頭を撫でてくれました。
車に乗り込みお姉さんの家に到着してティータイムをしていた時、私は「お姉さんの家大きいけど両親は何をしてたの?」と母親に聞くと、
「商売をしてたのよ。最初はタバコ売りの路面店から始めてそれから地元でレストランのお店をやって忙しかったけど、父親が亡くなってお店を終わりにしたのよ」その言葉を聞いていつかお店を持ちたいと思うようになりました。
それから春夏秋冬を20回繰り返し、リフォームの営業と施工管理をしているなかで猫の手も借りたいくらいキツイ時もあったけれど、その時の私を支えてくれたのはお客様のクシャクシャなとびきりの笑顔でした。
「中嶋くんにお願いして本当に良かった!」
その言葉を聞いているうちに地元が好きな私は勤めていたリフォーム会社を4年前に退職し、その後アルバイトをして2022年7月7日に笑顔工務店を始めました。
私の過去は色んな人達の笑顔がいつもそこにあり支えられてきました。私は「私と関わる人と地域の人達の笑顔を創る」
これが笑顔工務店の名前の由来です。